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Chuckの電子工作

趣味の電子工作を中心に書いています。音関係工作はg:emusic:id:Chuckどうぞ。


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2004-04-04私のマイコン・パソコン歴

小学校高学年

初ラシャープマイコン博士広告東芝EX-80BSの講座を見てよだれをたらす。

中学校

秋葉原のビットインや石川町のエジソンプラザでPC-8001に無限ループのプログラムを入れて遊ぶ。友達がシャープMZ-2000を買ったので遊びに入り浸る。

高校

PC-8801を買ってもらってそれなりに遊ぶ。

大学(1985-1989)

クラブの部室のPC-9801で遊ぶ。家ではPC-8801にCP/Mを入れて遊ぶ。6502を喋る友達が68000でマイコンを組むのを見ている。自分ではZ80入りのTNCのキットを作る。

某紡績系ソフトハウスでIBM5550向けのバイトをしそうになるがハマル前に止める。今はかなり大きくて四角いソフトハウスで友達がゲーム作りのバイトをしていたのでテストプレイのバイトソフトウェアバイトをしていた先輩や同期がつぎつぎと留年するのを見て、ソフトはたしなみ程度で止めておこうと誓う。

モデムをもらってパソコン通信BBSなどに「書き込んで」みるがいまいちなじまない。

大学の実習でM-380をパンチカードで(やっほー、フォートランランラン)。実験ではアナログコンピュータ, 68000など(もちろん回路に強電に半導体作りなどもやる)。別の実習でPDP-11; talk、rogueE-Mailデビュー。研究室に入ってSony NEWS NWS-800; NetNews, rootデビュー。パソ通よりもインターネットのほうがしっくり来る。

研究スポンサーへの手前 TI TMS32010のボードFFTなぞ組んでお茶を濁す。

研究は主にPC-9801VX21で; "音声合成における個人性制御" 線形予測のボコーダをベースに、環境はMS-FORTRANでシミュレーション

研究室の先輩の引っ張りで、母体は英語系だけど多角化してコンピュータにも手を出した専門学校C言語講師。同じ先輩の引っ張りで某超大手出版社でBasicの本など書く(共著、今は絶版)。

大学院

学科ネットワークのadminデビュー。

専門学校C言語講師バイトを続けつつ、先の某大手出版社C言語雑誌で入門記事の連載。雑誌の編集長(先のBasic本の編集も)が立ち上げ時の過労から亡くなる。編集者にはなるまいと誓う。

PC-9801DA2に買い替え。そのうちCyrixの互換チップに乗せ換え。PC-9801F2やらなんやら中古で仕入れて並べてRBBSなどやってみる。

学校の大型計算機がM-780に替わる。タイムスライス50%でSysVが動くも使用者は他におらずウハウハ。他にSUN4が数台、FM16βが山のようにあったので使いまくり、大学計算機センターのプログラム相談員や授業のチューターなどして計算機使用料を捻出。

研究は学部のときからの連続テーマ。音声をモデル化しないでケプストラムを使ったりニューラルネットを使ったり。FORTRANとCなど。

勤め人

学生のときに身の回りはハッカーばかりだったので、自分はぬるいと思っていた。会社のソフトウェア研修で初級を受けたら追い出されてしまった(涙)。

ソフトからは足を洗いハード屋にならんと欲す。当初アナログ・サーボ屋で、しかしデータロガーを H8/532 で作って仕事。端末はPC-286ノート

ディジタル屋に転じて、ABEL、AHDL、HDL書きに、ハードウェア屋だけどソフトウェアなインターフェースでFPGAを並べて試作をしたり、LSIを作ったりしてオーディオ仕事(内容は秘密)。とりあえずCPUが介在しない硬い世界。端末はNEWSやSUN。ircデビュー。emacs Lisp で無能を書いて遊ぶ。

プライベートではマックに手を出しDTMMacintosh Classic II → LC475 → Performa636CD → PowerBook 180c → PowerMac9500/132 → PowerBook 5300ce → 9500にG3カード

DTMで作った音楽ニフティ とか ゆいネット あたりにアップロード。そのうち仕事が忙しくなって遊んでいられなくなる。

モトローラ DSP56001に外付けハードウェアを組んでオーディオ仕事。お化けのようなチップセットを6組並べてMIPS+専用周辺チップビデオ仕事。1年間遊んでいるときに、後に某社で情熱機関を作る後輩からヘネパタ本を教わる。帰ってきてビデオ仕事オーディオ仕事を合体してWindows NT4 でハリウッド仕事LSI仕事人が減っているとかで呼ばれてまたビデオ仕事。2年ほど戦略部門で遊んでたときにPIC、AVRデビュー; 人からもらったFMVが活きる。復帰後はFPGAを山ほど並べたビデオの試作仕事(エンベなソフトコア)。


明日はどっちだ。

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2004-04-03私のオーディオ歴

小学校

叔母からもらったたしかソニーラジオでAM放送を聴いていた。TBSラジオドラマが好きだった。

まだ Hi-Fiオーディオには縁がない。

中学校

BCLラジオ音楽を聞いていた。語学用カセットレコーダーで友達にLPから録音してもらった音楽を聞いてギターを練習したり。

実はその語学用カセットレコーダーで鉄道の音を生録に行ったりもした。

父親から山水の球レシーバー(チューナとプリメインが一体になっているもの)を奪い取る。しかしスピーカーがない。BCL用のモノラルヘッドホンで聞く。エレキギターを繋いでもちゃんとした音で鳴らないと知る。

NHK教育テレビオーディオ入門?だかを見ながら夢が広がる。

高校

山水のレシーバーはそのうち廃棄された。

まもなくナショナルステレオラジカセを買う。スピーカが分離できるタイプ音楽聴きまくり*1。そのうち1万円ぐらいのリニアトラッキングのレコードプレイヤーを繋いで、レンタルレコード屋に通う。

通学途上で語学テープを聴くといって、ヘッドホンステレオを買ってもらう。ソニーウォークマン WM-DC2。これはWM-D6Cと並んで名機だと思っている。しかし耳が汗っかきでイヤホンを長時間付けていられないという自分の体質を知る。

大学

生協で山水のプリメイン(AU-D607XD)が安かったので衝動買い。高校の頃からのラジカセのスピーカを分離して繋いでいたが、不満がつのって JBL 216 ProII モニタを購入。カセットデッキは件のラジカセを使っていたが、近所のレコード屋でTEACのものを見つけて購入。

このあたりからオーディオ雑誌を読み、オーディオフェアに通い始める。

このころ、評判だった長岡鉄男設計のスピーカー、スワンを製作。オーディオいじりにはまる。

大学院

一念奮起*2して長岡鉄男 D-50 を製作。いろいろいじって遊ぶ。

球のアンプキットを組んでみる。

生録熱はあって、アイワのポータブルDATなぞ買う。そのとき買った鉛蓄電池は今は全部死んでいる。

勤め人

実家を出て集合住宅に引っ越す。各部屋に1つ以上はCDなりなんなりあるぐらい、いつでも音楽が聴けるようにしていた。

テレビビデオを買う。βのデッキがいっぱい。アニメを録ったテープがいっぱい。そのうち山水のアンプが壊れてデンオンのを買う。まだデノンとは言っていなかった。

しかし海外に行って帰ってきてみると、すっかり気持ちが変化していた。ビデオテープの山を前に「こんなのをすべて見ている暇はない」と思い全部捨てた。オーディオ機器もスワンもD50もCDPもDATもすべて処分。すっきり。

音楽制作用のパワードモニタソニー SMS-1P だけは残しておいた。

その後若干余裕が出たときに、バイポーラでかんたんなアンプを作った。フォステクス 8cmで小型バスレフを作って枕元のおやすみ/おはよう音楽用においてある。


広い家に住む機会に恵まれたら、またオーディオいじりをしてみてもいいかなぁ。

*1:このラジカセはパソコンのデータセーブにも活躍した。

*2:大型ですからね。

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2004-04-02私の無線歴

小学校

5年生で初ラデビューしBCLに興味を持つ。

6年生の時に父親のソニー ICF-5500 を奪ってラジオオーストラリアABC日本語放送です~」を聞き感動する。

中学校

中学に進んでラジオをげっと、ナショナル Proceed 2800。

英語先生とBCLクラブを創立する。が、クラブの活動は停滞していたので、個人活動が主。そのうちクラブ活動といえば 陸上競技 {に|で} 走る。

中学校2年生の春休みに電話アマチュア無線技士従事者免許取得。

高校入試が終わった3月に50MHzで開局。アイコム IC-502A + ヘンテナで空に出る。

高校

お空に出まくる。

1年の夏休みに親戚の電気屋でバイトして、貯めたお金ミズホ通信 ピコ2 MX-2(144MHz SSB/CW無線機)を買って組み立てる。いまいち 2mは馴染めない。高校1年の秋に電信級アマチュア無線技士従事者免許取得。

大学

大学に受かって自宅に12m高のタワーを建てる。6mの6eleを上げる。

無線とかコンピュータとかオーディオとか電力工事をやっているクラブに入る。部室からも空に出る。弱小ながら ALL JAコンテストとか。430MHzのFMハンディ TH-41 を入手。

大学1年の春休みに第2級アマチュア無線技士従事者免許取得。

この頃から勢いがついて無線機が増え始める(TM-411AとかTS-811Dとか)。クラブの先輩がアマチュア無線機器を扱っているメーカー勤務だったことも大きい。

HFの無線機を入手、FT-101ZD。固定局も開局。21MHzの2ele HB9CV を上げる。

パケット通信を開始。430MHzのアンテナは2、3本上げていた。

1200MHzも開始(TM-531)。

大学院

さらにHFの無線機、TS-440S入手。IC-W2を買ったり。

パケット通信でTCP/IPをやったり、PRUGの会合に顔を出したり。

ミニFAX入手。新年FAXで遊んだり。PanaFAX3000 を入手、気象FAXを受信して遊ぶ。今は亡きタスコのTNCでRTTYをやってみたり。

fj.forsaleでスカイセンサーのUSモデルをゲット。ICF-5900W。しかし短波放送はゼネラルカバレッジ受信機能のついたHF機での受信が主になっていた。

学会発表ハワイに行ったときも電波を出すことは忘れなかった(もちろん免許は受けていきましたよ)。

勤め人

無線をやる時間がぱったりとなくなる。遠出をするときの連絡用ぐらい。

集合住宅に越してアンテナ難民になり、いっそう強まり、しかしボーナスを投入してJARLの終身会員にはなっておく。

USへ行ったもののGeneral級すら取らずに帰ってくる。

帰ってきて無線機もがっさりとリストラ。すっきり。ICOMの430/1200MHz のFMハンディだけ残しました。移動局を廃局。固定局を移動局に変更して無線局免許は維持する。

別の集合住宅へ引っ越して工作熱が高まってきた頃、パケット通信+GPSという遊びを知る。ガーミンのGPSを入手して、TNC中古で入手して、地図ソフトも入手して遊んでみる。ビーコン出したりする機械を作ったりもしましたがまもなく飽きる。

その頃には音声変調された多モードパソコンのサウンドカードで復調できるぐらいになっていた。大学無線部の先輩からゼネカバ受信機能のついたハンディ機 TH-F7 をもらい、SSTVやらFAXやら受信してみる。

まもなく飽きて、今日に至る。


また本格的に無線を復帰する日もそのうちにくるでしょう。とりあえずハムフェアぐらいはなるべく通うようにしています。が、OMとされる人たちに変な人が多くなってきた*1のでちょっと嫌になりつつある、開局24年目。

*1:昔からかも。

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2004-04-01私の電子工作歴 / 自己紹介

日付はダミーです。うそではありません。

電気の前

小学校低学年の頃は、手品とコマまわしと凧揚げが大好きでした。立体凧の本を見ていろいろ作っていました。作ったといえば 切り抜く本 なんてのもあって、蒸気機関車の紙模型を組み立てていました*1

調べてみたら、なんと、復刊 されているのですね! > 切り抜く本 日本蒸気機関車 http://www.fukkan.com/vote.php3?no=23186

確かにこんな表紙の本でした。誠文堂新光社の本だったとは。今なら昔よりもうちょっとうまく作れるかなぁ。

出会い

小学校4,5年生頃にgoogle:カプセラという組み立てメカおもちゃ や、有名google:電子ブロックを手にしてから、興味が電化されます。電子ブロックは EX-60から始めて、こつこつとパーツを買いそろえ、EX-181 + FMブロック 相当まで育てました。

そして、雑誌 初歩のラジオ との出会い(id:Chuck:20040516#p2)でいっきに加速します。しかし意外にも子供の科学*2ラジオの製作はほとんど読みませんでした。小遣いが限られていて、複数買う余裕が無かったのかも。

日に日にのめりこむ私を見て「そんなに電気が好きならキットを買ってやる」と、父親は秋葉原で、6石のラジオキットと40Wのハンダゴテを買ってくれました。作りましたが、失敗しました*3。初めてのハンダ付けには荷が重過ぎました。その後別のラジオを完成させたにもかかわらず、父親にはラジオをまともに作れなかった奴とレッテルを貼られています。

中学生の頃

中学に進み、懲りずに作ります。

TTLICが出まわりはじめて、

白土義男; 『ディジタルICのいたずら』, ホビーテクニック23, 日本放送出版協会

などを読みながら、5V DC電源をかわきりにいくつか作りました。google:"ディジタルICのいたずら"

当然のことのようにgoogle:BCLにも興味を持ち(d:id:Chuck:20040423#p2)、海外短波日本語放送を聴きまくります。電波を出したいとgoogle:CBトランシーバーワイヤレスマイクに向き、google:アマチュア無線の免許(電話級)を取ります。まだ無線機は買えず、しばらくgoogle:SWLをします。

また、小学校の頃から習っていたクラシックギター電気好きが合体してエレキギターを弾くようになります。ギターのエフェクタをいくつか、キットを作ったり、初ラの連載製作記事を元に作りました*4。科学技術館で開催されていた楽器フェアにいってはシンセサイザーをいじります。いくつかシンセの製作記事もありましたが、当時は自分で作ろうという気にはなりませんでした。

高校生の頃

高校に進む頃にようやくアマチュア無線局開局(50MHz帯)。ひたすら無線ロックバンド三昧です。電信級の免許を取ったり、ポップス、フュージョンバンドもやったりするようになりました。クラシックギターもまだ弾いています。

親類の電器店でアルバイトをして貯めたお金で、ミズホ通信のピコ2という144MHz帯SSB/CWの無線機キット(といっても基板組み立て調整済み)を組み立てたのをおぼえています。

他には何を作ったかな。やはり無線関連のアンテナ周辺機器ギターのエフェクタ関連だったと思います。

大学生の頃

理工系の学校に進みます。電気工学科です。名前からはイメージできないけれど、物性から信号処理コンピュータ、強電まで広くカリキュラムが組まれていて、年をとってみるとあれはよかったなぁ*5

無線とかオーディオとかコンピュータとかを範疇とするクラブに入ります。学園祭のときは電気工事までするところでした。このころはギターからは遠のいていました。

ひたすら無線をやります。2アマをとって*6、1.9MHz~1200MHz帯まで出るようになります。いろんな通信モードをはじめました。CW、パケット通信、ミニFAX、アマチュアFAX。RTTYは受信どまり。ATV、SSTVには手を出さず。関連するものをこちょこちょと作っていました。

研究室に入ると人の声をネタにディジタル信号処理で遊びます。初めてDSPをいじったのもこの頃。TIのTMS32010だったかな。でもほとんどはワークステーションや大型コンピュータでのシミュレーションでした。

長岡スピーカー自作にはまったのは院の頃。

就職

雇われ人です。

ボーナスMacintosh Classic II を買って、DTMにハマリます。シーケンスソフトウェアはMark of the Unicorn の Performer。ギターを再開します。バンドを組みます。クラシックギターのレッスンも復活して発表会に出たり。

集合住宅に越しても、シンセが増えます、ギターも増えます、部屋が狭いです。エフェクタはいくつか作りますが、この時点でまだアナログシンセ自作というのを思いつきません。

アンテナ難民でアマチュア無線は遠のき気味。

出会い2

1年ほどアメリカに遊びに行きます。

ある日、立ち寄った雑誌販売スタンドで、Recording という本を手に取ったら、なかなか面白い。自作記事も載っています。キットが PAiA (http://www.paia.com) というところから売られていました。実は音楽機材関係自作筋で有名なPAiAとの出会いです。

キットを買っては作ります。ハンダごてをもってきてよかった。球ものからディジタルオシレーターシンセまで、いくつも作りました。多かったのは Craig Anderton氏の設計のものです。氏の著作はいくつもあって、読んだのはこのあたりです。

Craig Anderton; Do-It-Yourself Projects for Guitarists: 35 Useful, Inexpensive Projects That Help You Unlock Your Instrument's Potential

Do-It-Yourself Projects for Guitarists: 35 Useful, Inexpensive Projects That Help You Unlock Your Instrument's Potential (Guitar Player Presents)

Craig Anderton; Electronic Projects for Musicians

そうそう、Digi-Key との出会いもこのときです(id:Chuck:20040519#p1)。

手ぶらで渡ったにもかかわらず、帰るときにはギター3本、8Uラック1本が増えていました。

そもそも何をしにアメリカに行ったのか、今も謎です。

戻り

帰国後しばらくして社会情勢の変化により、緊縮財政を余儀なくされます。山のような音楽無線機材やギター自作スピーカーは、ある晴れた 昼さがり いちばへ ドナドナされていきます。すっきり。住環境から自作もしばらくお休みです。

それからしばらくして仕事も企画屋みたいのになります。

案の定、モノ作り禁断症状が出ます。エフェクタの自作キットをネット上に見つけて作ってしのぎます。そして会社の友人に囁かれてついにPICに手を出します。マイコン仕事で使ったりしたこともありますが、趣味で遊ぶには高いものだと思っていました*7。しかし数百円のPICを見て、考えが変わります。開発環境を揃えて、またこちょこちょと作り出しました。

現在

その後は、ドラマーが亡くなってバンドが休止状態になったり、仕事ではまた技術屋に戻ったりとばたばたして現在に至ります。

ワンチップマイコンものを中心に GPS+アマチュア無線機 でちょっと遊んだりしました。ワンチップはPICよりはAVRの方が好きですね。H8だと何か作っても欧米で追随者が現われないのでちょっとつまらない…

部品も、以前より 数量まとめて買うようになってしまったので、部屋もたいへんなことになっています。

今は、昔からの音関係の興味の延長上で、ギターのエフェクタやシンセサイザを作ろうと戯れています。こだわりなくいろんな回路をいじってみたいです。しかしあちこち浮気しすぎて、目的のアウトプットが出せないままかれこれ2年経ちました。趣味だからいいんだけど。DSPにも手を出して、発散するところとどめを知りません。

なにかにつけ、いじっている最中が楽しいんですよね。趣味の電子工作にあっては「論よりRUN」を旨とし、「手段のためには目的を選ばない」ことを良しとします。神風が吹いて全部吹き飛ばされない限り、しばらく、収束する見込みはないと思われます。

2004年6月2日記

つづく(か?)

*1:接着剤でべとべとでうまくない。

*2子供の科学から入った友達の何人かはその後 天文ガイド へと流れていった。

*3:今思うとイモはんだが原因ですね。

*4中学校技術室でプリント基板のエッチングをさせてもらいました。

*5:今はかっこいい名前になって、細分化されたらしい。

*6:和文モールスが覚えられず、1アマまでいかなかった。

*7:AKI-80も高いという印象です。

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